これまでもずーっと思ってきたことですが、昨年の衆議院選挙を見て、「日本に民主主義は馴染むのか? 今の日本に民主主義はあるのか?」という疑問が高まりました。
その後、アメリカで生活をしつつ、日本政界での混乱を見るにつけ、疑問と言うよりも、日本には民主主義の土台が未だ無いのではないかな、、、と思うようになりました。
民主主義において、多数決で代表を選ぶ、という単なる表面上の間接民主政治の仕組みは必要条件に過ぎません。
各有権者が良識を持って自分でしっかりと考え、その結果投票することが大前提になると思います。
ですが、日本人の国民性でしょうか、それとも戦後教育の成果でしょうか、マスコミによりムードが出来てしまうと、大多数が思考停止に陥り、そのムードに乗っかってしまう。
有識経験者の多くも、そのムードを補強するロジックを組み立て、マスコミを通じてそのムードを補強する。
このムードに乗っかって実施される選挙。
これが果たして民主主義なのか?
高校の日本史の授業で、日本のやり方は 明治以前は「和魂漢才」 → 明治以降は「和魂洋才」と教わりました。
科学技術を取り入れる際には、その技術のベースにある精神は置いておいて、「漢才」「洋才」のみを導入し、和魂を使ってうまくアレンジすることでうまく機能してきました。
が、民主主義のような大きな社会の仕組みでは、精神を無視すると上手く機能しないんじゃないかな、、、と思います。
明治時代、日本が民主主義の仕組みを取り入れた当初は、西洋列強からの脅威に対抗する為、本質的には藩閥政治なのに 形だけ民主主義に見せかける、、、そういう指導者がきちんとした認識をした上での、確信犯的 偽民主主義だったのだと思います。
それであれば、本質的には民主主義では無い、別の統治の仕組みが機能しているわけで、そういうのもありだと思います。
55年体制で自民党が政権を維持していた状況下においても、明治初期の藩閥政治と同様、張りぼての民主主義の中に、よいか悪いかは別として、きちんと政治を実施できる主体がいた為(&不都合な膿を将来につけまわし出来る余裕が国家としてあった為)、民主主義が機能せずとも特に問題ない、or 問題があったとしても露見しなかったのでしょう。
が、過去の膿が限界を超えてたまり、小泉改革等により この自民党独裁の仕組みが崩れ去ってしまった結果、張りぼての民主主義を支える主体が無くなり、民主主義不在の状況が明るみに出てしまったんだと思います。
現状では、民主主義というよりも、「衆愚政治」という言葉の方が馴染むんじゃないでしょうか?
では、どうすれば良いのか?
民主主義を根付かせる、というのが理想的でしょうが、新しい精神を行きわたらせるのは並大抵のことではなく、そんなに時間的余裕があるようには思えません。
ちょっと過激ですが、民主党政権(orその次の政権)に頑張ってもらって、問題点を全て曝け出してもらい、一旦ぐちゃぐちゃになったところから、明治維新のような若い世代による熱い再生に期待するのが、長期的には最も良いのでは、というのが正直な思いです。
このタイミングのNHKの「竜馬伝」。
マスコミに扇動されやすい日本人の国民性を考えると、このタイミングでの明治維新ブームは、
なかなか上手く仕組んだな、、、
大局を見て、そういう仕掛けを繰り出していく人がこの国のどこかにはいるんだな、、、
と、思います。